雨だ。だんだん薄くなった窓外斜面の雪もなくなるだろう。エンゴサクの薄い青が透けるように見え始めたが、それがスロープ全体に下りて来るだろう。もう知る人ぞ知る”エゾエンゴサク名所”になっている。その大きな多量の種は毎年あちこち、トンネル向こうにも自然に運ばれて、一帯に繁茂し続けている。
例年、エンゴサクの色を十分楽しんだ後に、山羊の放牧を始める。
エンゴサクの群生写真は難しい。青く広ーい景色を撮ろうとしても、目で見ているようには青くない出来上がりとなる。中途半端な葉っぱの緑と、透けて見える地面が目につき、意外とつまらないのだ。つまり、写真はかなり客観的に色を捉えるが、人の目、私はエンゴサクの青を特化して見ているのだろう。見たい色、モノを見ているのだ。同様に、聞きたいものだけを聞くということもある。鳥のさえずりを考えてみてもよくわかる。統合失調症では、耳が全ての音を同量捉えて聞いてしまう症状、辛さがあるという。余り考える事なく、自然に選んで見たり聞いたりしているという能力にあらためて驚く。見たいものだけ見る、聞きたいものだけ聞く、そんな傾向は年と共に進み過ぎるけれど。