力と気力を尽くしたのに報われない。いつも報われてきた人には心底、がっかりである。
できごとは2回。同じことが2回!
山羊小屋の、でき方いい加減の鍵をはずして、スーパーカブ♂とタレ♀の2頭が早朝に出て、干していた豆、小手芒とキドニビーンズ、大正金時をほとんど”食って”しまった!ギャーッ!!1回目が夜の外出中の出来事で、2回目には、残っていたわずかをほとんど”食い”尽くして、来年の種まき用まであるかないかである。
思い出す。つい最近、「裸の島」をきっと何十年振りかで再び観た。1960年、新藤兼人監督、乙羽信子、殿山泰司、音楽=林光、1961年第2回モスクワ国際映画祭グランプリ作品である。前回は殿山泰司が乙羽信子に平手打ちを食わす場面が印象に残っていたけれど、今回気になるのは、乙羽信子がラスト近くで地面に倒れ伏して号泣する場面である。映画の観賞後、全体についてはさまざまな印象が語られたけれど、特にこの場面での、彼女の気持ちへの理解、映画的な解釈、これについてはまだまだ話途中なのだ、もちろんワタシ的に。この映画に大変魅せられたA氏は、映画全体について来春もう一度評論を試みる予定らしいが、それまでに私も、少なくともこの場面についてはなにがしかの話ができたらいいと思っている。
なぜ思い出したのかは、「報われない」ことへの誰にも向けられない怒り、悔しさ、無念さ、そんなことを今朝の山羊事件で体験したからである。乙羽信子がやがて立ち上がったように、私もギャーッから立ち直りつつある。後日、O氏からの、「そんな山羊は食ってやるう!」メッセージにも慰められた。(もしも、「 豆なんか買えばいいでしょ?」と誰かに言われたらどうだったか・・・!)
品のいい豆が消えてしまって、冬の豆メニューへの心配は残ります。
ことしの乾燥エンドウ豆。赤花、白花、大莢、スナップエンドウ